健康長寿のすすめ

2019年1月9日

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

初日の出

普段は、多摩川にお散歩に出かけても、たまに犬のお散歩をしている人がいるくらいで、ほとんど人に会わないのですが、さすがに元日の朝は多くの人が初日の出を見にきていましたね。

やはり、新年というのは特別な思いがみなさんあるのですね。

このブログをお読みの皆さまは、おそらく健康であることや、当たり前に元気で仕事や家事などの自分の役割を全うできることを願っている人が多いと思うのですが、

長生きはしたいと思っていらっしゃいますか?

いまや、日本人の平均寿命は女性が87・26歳、男性が81・09歳です。

うちの78歳になる母に、いまは「100歳時代だから」というと、必ず「そんなよぼよぼになってまで長生きしたくない」と返ってきます。

母の頭のなかには、「100歳=認知症&身体はよたよた」の方程式がみごとに刻まれているようで、

「そんなふうな状態なら生きていたくない」というこのなのですね。

たしかに、長生きして、認知症になったり身体の自由が利かなくなった状態になってしまうのなら、むやみに長生きしたくはないと、誰もが思いますよね。

でも、本来人間に備わっている命の力は、そんなもんではないのです。

鍼灸の世界のバイブルでもあり、 現存する中国最古の医学書と呼ばれている 「黄帝内経」によれば


昔、黄帝は、生まれつきとても聡明で、小さい時からよく話すことができ、幼いうちから頭の回転が速く、長じて誠実で俊敏な人となり、成人して天子となった。そんな黄帝が、名医の岐白に問いを投げかけた。
 「上古の人は、みんな百歳を超えても動作が衰えなかったと聞いている。ところが、今どきの人は、半分の五十歳で動作が衰えてしまう。これは、時代環境によるものなのか、それとも人々が養生を怠っているからか。」
 岐白が答える。「上古、人々は養生の道理を知り、陰陽の法則にのっとって、修養の術を生活に取り入れ、飲食に節度を保ち、起居にリズムを持って、休息と労働のバランスを取っていました。だから、肉体と精神がともに健やかで、自然な寿命を享受して、百歳を超えて亡くなったのです。
 現代の人は、そうではありません。酒を水のように飲み、でたらめなことを平常として、酔って房に入り、色欲のままに精気を使い、真元を消耗しています。精気が満たされた状態を保つべきことを知らずに、常々精気神気を使い過ぎ、一時の快楽に走って、養生の道に反し、起居にも節制がない。それで、五十歳になるかならないかで、すっかり衰えてしまうのです。」


黄帝内経 『上古天真論篇』

江戸時代の儒学者貝原益軒が84歳(当時の平均寿命は50歳ぐらい)のときに書いた『養生訓』には


「人生50にいたらざれば、血気いまだ定まらず。知恵いまだ開けず。古今にうとくして、世変になれず、言あやまり多く、行い悔い多し。
人生の理(ことわり)も楽しみもいまだ知らず。50にいたらずして死するを
夭(わかじに)といふ。是亦、不幸短命といふべし。長生きすれば、楽しみ多く益多し。日々にいまだ知らざることを知り、日々にいまだ能(よく)せざることを能す。

 この故に学問の長進することも、知識の明達なることも、長生きせざれば得
がたし。之を以て養生のすべを行い、いかにもして天年をたもち、50歳をこ
え、成るべきほどに弥(いよいよ)長生きして、60歳以上の寿域に登るべし」

養生訓

と書かれています。つまり、現在なら定年を迎える60歳頃まではまだ知識、経
験も浅く、未熟である。60歳の寿域に入った頃から円熟していくと述べているのです。

さらに

人の寿命は100歳で、上寿は百歳、中寿は80歳、下寿は60歳であるのに、下寿の60歳に達する人は意外に少なく、50歳以下の短命の人が多い。

短命なるは生まれつきて短きにはあらず。10人中9人は皆みずからそこなへるなり。ここを以て、人生養生の術なくんばあるべからず」

養生訓

人の命は生まれつきで決まっているのではなく、人の力でどうにでもなる。ただ養生の術をもちいない人には長寿はありえない。と言っているのです。

インドの伝承医学「アーユルヴェーダ」でも、人生はほんらい120年。そして年を重ねるごとに幸福は拡大されていくと教えています。
肉体、精神、魂(意識)の三つのバランスを整えて、はじめて、幸福な寿命とされ、120歳までの【健幸寿命】を、具体的な薬草学や、食事療法をベースに伝えています。

昨日の朝のNHKの番組でも東洋医学が取り上げられ、昔にくらべれば、西洋医学に代わる代替療法や自然療法への認知度も高まってはいるとは思いますが、

そういった自然療法を取り入れるにしても、
考え方の中心が、「何か症状がおきたら対処するという」というところで終始してしまっていると思うのです。

もちろん、何か症状が出ているなら早めの対処はもちろんなのですが、そして早目の対処には、鍼灸はじめとする東洋医学や自然療法は、もちろんおすすめなのですが、

それよりも、もっと前から、何もないときから積極的に養生していく。そのことこそが健康でいながらにして長寿を可能にしてくれるのです。

という私も、10年くらい前までは、太く短くでよいと思っていて、ピンピンコロリは目指すけど、別にそんなに長生きしたいとは思っていませんでした。

が、アーユルヴェーダや鍼灸の世界に親しむようになり、どうやら長生きしてみないと、味わえない人生の楽しさや醍醐味もあるようだと知り、
自身でも出来る範囲で楽しみながら養生を生活に取り入れるようになりました。

そうすると、本当に少しずつですが身体が元気になるのがわかり、一年で一番寒いこの時期ですが、身体が軽いし、動けばすぐに内側から温まるのが感じられて、靴下を何枚も重ね履きしても、寒くて寒くてストーブの前から離れられなかった10年前がうそのようです。

こういう経験をしてみると、齢をとったら老けるとか弱るというのは、それはどうやら違うんだなというのが実感としてわかります。

さらに身体の変化に加えて、根拠のない幸福感が増しているのがこれまた不思議です。   

年末の記事「予祝のすすめ」で、「予祝」というものをご紹介しました。

お正月のお祝いは、その年が 実り豊かな年になる ように、ご馳走を並べて食べることで、先取りしてお祝いする祈りの行事でした。

将来なりたいイメージを先にお祝いしてしまうわけですね。

将来にわたり健康長寿を願うなら、健康で長生きしている人はどんな人なのか、まず知る必要がありますよね。

健康診断を受けることは、病気の予防にはなりません。病気の早期発見したとしても、それはそれで本当に悪くなる前に発見できるのは良いかもしれませんが、そもそも、早期発見も病気の予防ではありません。

さらにいえば、健康長寿を願うということは、病気にならなければよいという消極的なものではなく、人間として生を受けた今回の人生を最大限に全うするということです。

黄帝内経によれば、

「肉体と精神がともに健やかで、 百歳を超えても動作が衰えず、 自然な寿命を享受することができる。」

よくこのブログに登場するアーユルヴェーダの蓮村先生の言葉を借りるなら、


完全な健康や最高の幸福を望むことは、ほんらいとても自然なことです。なぜなら、人はそのために生まれているからです。その状態を言葉で表すとすれば、それはまったく努力のない状態です。

    日常において、私たちはつねに何かしら努力をしています。 何かをしようとするとき、そこには多かれ少なかれ緊張やストレスがあり、それを乗り越えるために努力をします。

    しかし、いつか人はまったくそうした緊張やストレスがない状態、すなわち努力を伴わない自分を生きるようになっていきます。 それが完全な健康で最高の幸福を生きている人のあり方です。



アーユルヴェーダでは、人生の目的は幸福の拡大であると教えていますが、健康で長生きすれば、人は誰もが上記のような、緊張やストレスのない、努力をいっさい伴わない自分を生きられるようになるそうです。

まったく努力のない状態なんて、なかなか想像しがたいですが、それでもきちんと日々養生を重ねていけば、誰もがそうなれるとはっきりアーユルヴェーダの古典にも書かれているのです。

健康に歳を重ねていくと、人は幸福が拡大する。
長生きすれば、知識は明達になり、楽しみ多く益も多くなる。

それが、本来の人間が長く歳を重ねた姿だと、先人たちは教えてくれています。

ですので、みなさまも、ぜひ、今よりも健康になること、今よりも幸福になることを望み、日々楽しく心地よい養生の道をご一緒に歩んでみませんか。

私も、やっと、
完全な健康や最高の幸福を望むこと ができるところまでは、たどり着けたような気がしていますが、

実際に完全な健康の実現や、まったく努力のいらない状態、知識が明達になる状態とは、ほど遠いのが現状です。(まだ40代半ばですからね。本格的な円熟は60を超えてからのようですから、まだまだ道のりは長いです。)

ですので、焦らずに、でも日々コツコツと、取り組んでいきたいなと思っています。

この「日常をアートする♪ ホリスティック養生のすすめ」ブログでも、養生のポイントをお伝えしていきます。さらにグリーンサロン鍼灸院でも、施術や各種ワークショップなどを通じて、幸せな健康長寿をサポートさせていただきます。

知識が明達になり、幸福が拡大する「健康長寿」
ぜひ、多くの方が目指して下さるとうれしいです。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。