「我包帯す、神、癒し賜う」
みなさま、こんにちは。
月曜日の日に、やっと病院に行くことができ、整形外科でレントゲンを撮ってもらったら、
骨に異常はなく、捻挫のちょっとひどいものだったようです。
そして、先生は、「では固定しますから」とおもむろに足に包帯を巻き始めました。
まだ腫れもあるし、内出血もしている状態だったので、
「先生、湿布はしなくてよいのですか?」
と聞いたら、
「飲み薬で、消炎鎮痛剤を出すので、それを内服してもらいます。湿布を貼りかえることで、
せっかく固定してあるのが、緩んでしまうほうが困るので、
腫れとか炎症には、湿布ではなく内服薬で対応します。」
との、ことでした。
いまどきは、ケガにも内服薬が処方されるなんて、ちょっとびっくりしました。
そして、先生が包帯を丁寧に巻いてくれるのを見ていたら、
学生時代に習った「我包帯す、神、癒し賜う」
という言葉、そのものだなと思いました。
この、「我包帯す、神、癒し賜う」という言葉は、
アンブロワーズ・パレ という、1500年代にフランスで活躍した外科医が残したもので、
医者や看護師、治療家や各種施術家など、人を治療したり、癒したり、ケアしたりする立場になる人は、おそらく知らない人はいないのではないかというぐらい、有名な言葉です。
私が普段の鍼灸の施術をしているときも、この言葉はいつも頭の片隅にあるのですが、
今回の、私の捻挫に対する先生の処置は、まさにこの言葉通りでした。
包帯でしっかり固定してあるので、歩けるようなら歩いてもよいが、転ばないように注意して、
必要以外はとにかく安静にして、足を高くして休むようにと。
実際、足をひねってから、しばらくはまったく動かすこともできず、
足をつくこともできず、歩くことができなかったので、
病院に行きたくてもいくことができず、
3日間は自宅にてセルフケアの日々だったので、
足の様子が、日々変化するのを観察していたのですが、
足をひねった、次の日が一番、腫れと痛みのピークで、その日はあまりの腫れと痛み、そして内出血の様子に、もしかして折れてるかも!?
と、思ったほど。
でも、翌々日は、まだ腫れも内出血もあるものの、痛みが和らいできて、ほんの少しだけ足首を動かせるようになり、あ、これは折れてはいないかも!?
という感じになり、
さらに次の日は、だいぶ腫れも引いて、熱感も治まってきて、急性期は過ぎ去ったな。。という感じがしました。
そのタイミングでの病院での診察となり、しっかり足を固定してもらったら、さらに
安心感も出て、次の日(昨日)から、ゆっくりとなら歩けるようになりました。
この治癒に向かうプロセスは、
そのときそのときで、できる限り、家でも冷やすことをし、安静にし(動きたくても動けない)、自分でできる範囲の鍼灸の治療などは
もちろん、やったのですが、
それらは全て、自分の自己治癒力を高めるためのサポートであり、
実際、治しているのは自分に備わっている、免疫力、自己治癒力なわけです。
この、もともと自分にちゃんと備わっている、自己治癒力こそ
「神」の力なわけです。
私たちの傷を治す生体のプロセスは、それはそれは見事なもので、とても試験管では再現できないそうです。
どんなに、医学が進歩しようが、どんな素晴らしいお医者様や治療家の人の手を借りたとしても、
最終的に病やケガが癒えていくのは、
自分の内側に、病やケガを癒すことができる力が、そもそも私たちの中にちゃんとセットされているからなのですね。
わたしたちの中に、その力がセットされてるからこそ、医者や治療家もサポートすることができるのです。
ちょっと、とりとめもなくなってしまいましたが、
突然の病気や、ケガには、誰しも慌ててしまうと思いますが、
でも、自分の中にちゃんとそれらを見事に治すことのできるプロセスが、ちゃんとあるということ。
ぜひ、知っておいてくださいね。
そして、適切に必要な処置はしたうえで、
自己治癒力(神の手)に、ゆったりとお任せしてみてくださいね。
PS. 明日に予定していたお灸カフェですが、今回は中止とさせて頂きます。
ご予約いただいていた方には、すでに個別にご連絡さしあげておりますが、
もしまだ申し込みしていなくて、参加をご検討くださっていた方がいらしたら、申し訳ありません。
体調万全にして、また企画したいと思います。
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