きちんと派にとって、大切なこと

みなさま、こんにちは。

今日の朝は、とても秋らしく清々しい朝でした。

 

大雨に、酷暑、そして台風に地震

今年は、本当に自然界も大荒れな雰囲気で、

日本の四季もそのうちなくなってしまうらしい

なんて話を聞くと、とても残念に思ってしまいますよね。

 

それでも、9/24 の中秋の名月に合わせるかのように、すすきが穂を太らせはじめ

 

今週、20日のお彼岸の入りに合わせるかのように、彼岸花が見事に咲いております。

 

私の、毎朝のお散歩コースです。

 

それ以外にも、夏には見られなかった花や草木が、生い茂り

眼を楽しませてくれます。

 

こういう自然界の営みを目の当たりにすると、気候が変わってきたとはいえ

自然界の営みは変わらずそこにあるんだなと感じられて、なんだかとてもホッとしました。

 

前回、前々回と、アーユルヴェーダの体質「きちんと派」と「だいたい派」について書かせてもらいましたが、

自然界のにおいて、春に咲く花、夏に咲く花、秋に咲く花と決まっていて、毎年同じ時期に花を咲かせるのと同じように、

この体質に関しても、生まれつきなので一生変わることがなく、無理して違う自分になろうとするのではなく、本当の自分を生きることが大切なのだとお伝えしました。

でも、そうは言っても、私たち生活していく中で、いろんな人間関係があり、

どうしたって、相手に合わせなければならないときもあると思うのです。

そんなときは、どうしたらいいのか?

自分の体質を生きることが、自分の健康にとっても、幸福にとっても、とても大事であるのはわかったとしても、相手の要望だって無視できないわけで。。。

 

そんなときに、ヒントになるような蓮村先生のツイートがあったので、今日はそのツイートをご紹介します。

【蓮村医師のつぶやき 2014年 1/25】
私は事ある毎に「適切な人間関係には4つある」という話をして、その中で「やばいと思う人がいたら離れます」と言っています。すると、かならずと言っていいほど「親との関係をどうしたらいいのか?」という質問を受けます。
親が自分に向ける態度がきつくて、一緒にいるのが辛い、離れたいが親だからそれはいけないのではないかと思う、という訳です。
先日も診察の時に、週に一度一人暮らしをしている義理の父親の世話をしにいっているが、それがとても辛いがどうしたらいいのか、という相談を受けました。
私はその方の話をよく聞いた上で、まず、親を敬うことは当たり前のことです、と伝えました。それがたとえ義理の父であれ、親であることには変わらず、親を敬い、大切にし、親が快適に暮らせるように心を配ることは、子として当然のことですよ、と話しました。
その上で、では何が問題であり、どうすればいのか、という話をしました。その方は、家に行くと義理の父親が、ああしろ、こうしろととにかくうるさい、たった数時間しかいないのに、本当に疲れてしまう、といいます。
おそらくその方の内側においては、口うるさい父親の面倒を見ることが、とてもしんどいという世界が広がっていて、今ではたった週に一度のことも、辛くて苦しくなっているのです。
じつは、その方は体質としては「きちんと派」でした。きちんと派の人は、何かをやろうとするときは、まず自分なりの枠をしっかりと決め、それをちゃんと管理しながらやり遂げようとする気質を持ちます。しかし、その方はその枠をもたないまま父親の家に行き、そして言われるままに面倒を見るということをしていたために、自分の気質に背いていたのです。
自分の気質に背くことは、自分を否定することですからきついのは当然です。本人は、こうした自分の気質や、それに背いていることに気がついておらず、無理をして父親に合わせていたために、苦しくなっていたのです。実際、父親が、どの程度ああしろ、こうしろ言っていたかは定かではありません。
きちんと派とは反対の「だいたい派」の人は、何ごとも枠を決めずに柔軟にやっていくので、かりに父親が何かを求めたとしても、おそらくさほどうるさいとは感じずに、やっていたかもしれないのです。
私はこの方に、きちんと派の人は、とにかく枠を決める事が大切なので、父親の家に行く前に、今日は何をするかを自分できちんと決めて、家に着いたらそれを父親に伝え、それをとにかくしっかりやるようにしなさいと伝えました。そしてもしそれ以外のことを求められたら、まず今日の予定が終わってから行いますと言いなさい、と教えました。
こうしたことが出来るようになると、人は自分をしっかりと生きることが出来るようになります。
今日のポイントをまとめると、「親を敬い、大切にすることは当たり前である」「自分の体質をちゃんと知って、自分を生きる」そして、「やばいと思ったらちゃんと離れる」です。
ちなみに、今日の話のどこがやばいかと言えば、きちんと派の人にとって、父親がああだ、こうだと言うままにやっていることがやばいわけですから、これに対して、きちんと「後でやります」と言うことが大切だということです。
きちんと派やだいたい派について詳しく知りたい方は、『「思いこみ」という毒が出る本』(さくら舎)、『自分を好きになる技術、人を受け入れる技術』(春秋社)を参考にして下さい。
昨日の記事で、ご自分がきちんと派だと思われた方は、このツイートをぜひ参考にしてみてくださいね。
ではでは!